相続放棄は、一度受理されると容易に取り消すことができません。しかし、特定の条件のもとで取消しが認められるケースもあります。
この記事では、相続放棄の「撤回」「取消し」「取下げ」の意味の違いや、取消しが可能なケースについて詳しく解説します。
これから相続放棄を検討している方や、すでに相続放棄をしたものの撤回や取消しをしたいと考えている方の参考になれば幸いです。
1. 相続放棄の申述の受理前の取下げは可能
相続放棄の手続きは、一度受理されてしまうとそれを取り消すのは簡単ではありません。しかし、相続放棄の申述が受理される前であれば、比較的簡単に撤回することができます。これを「取下げ」といいます。
申述の受理前に取下げを希望する場合、速やかに家庭裁判所に連絡を取り、相続放棄の申述を取り下げたいという意向を伝える必要があります。裁判所から取り下げる旨の書面(取下書)の提出を求められた場合には、その旨の書面を速やかに提出しましょう。
相続放棄の手続きが完了したことを示す「相続放棄申述受理通知書」がまだ届いていなかったとしても、裁判所内部では申述の受理が完了してしまっている可能性もあります。取り下げたい場合は速やかに行動するようにしてください。
2. 相続放棄は撤回できないが取消しはできることがある
先ほどは、相続放棄の申述が裁判所に受理される前の段階の「取下げ」について説明しました。ここからは、相続放棄の申述が裁判所に受理された後に、それを撤回できるかどうかについて解説します。
結論としては、「撤回はできないが、取り消せる可能性はある」ということになります。「撤回」と「取消し」は意味が異なりますので、その点も踏まえて解説していきます。
(1)相続放棄の「撤回」とは
相続放棄の撤回とは、相続放棄の申述が受理された時点では何ら問題がなく受理されたものの、後から何らかの事情の変更があり、それを理由に相続放棄の効果を将来的に解消させることをいいます。
民法によれば、相続放棄の申述が家庭裁判所で受理された後、それを撤回することは認められません(民法919条1項)。
例えば、「相続放棄をしたものの、心変わりしたのでそれを撤回したい」「相続放棄後に、故人の資産が発見されたので相続放棄を撤回したい」といった理由で、相続放棄をなかったことにすることはできないのです。
なお、相続放棄の撤回は、3ヶ月の熟慮期間内であっても認められません。
(相続の承認及び放棄の撤回及び取消し)
民法919条1項
第九百十九条 相続の承認及び放棄は、第九百十五条第一項の期間内でも、撤回することができない。
2 ・・・(以下省略)
(2)相続放棄の「取消し」とは
相続放棄の取消しとは、相続放棄の申述が受理された時点で既に何らかの問題があり、本来は受理されるべきではなかったのに受理されてしまったようなケースで、受理された後になってその効果を消滅させることをいいます。
取消しの効果は受理時点に遡って認められますので、相続放棄の申述が初めから受理されなかったことになります。
相続放棄の「取消し」については、全く認められていないわけではなく、一定の条件のもとでは取り消すことができます。
相続放棄を取り消すことができる事情はいくつか存在しますが、特に「誤解」や「詐欺」に基づくケースが代表的です。取り消すことができる具体例については後述します。
(相続の承認及び放棄の撤回及び取消し)
民法919条2項
第九百十九条 相続の承認及び放棄は、第九百十五条第一項の期間内でも、撤回することができない。
2 前項の規定は、第一編(総則)及び前編(親族)の規定により相続の承認又は放棄の取消しをすることを妨げない。
3 ・・・(以下省略)
(3)「撤回」と「取消し」の違いは?
ここまで説明したように、撤回と取消しは法的な意味が異なります。
「撤回」は、相続放棄の申述が受理された後に発生した事情で、後から相続放棄の効力をなくしたいというような意味合いです。
それに対し、「取消し」は、相続放棄の申述が受理された時点ですでに問題が発生していて、本来は受理されるべきではなかったのに受理されてしまったので、相続放棄をした時点にさかのぼって効力をなくしたいというような意味合いになります。
両者の違いを理解するのは少し難しいかもしれませが、重要なのは、相続放棄は一定の条件のもとで取り消すことができるという点です。では、具体的にどのようなケースで「取消し」が認められるのでしょうか。
3. 相続放棄の取消しが認められるケース
相続放棄の取消しが認められるのは、例えば次のようなケースです。
以下、取消しが認められる各ケースについて、詳しく解説します。
(1)詐欺・強迫によって相続放棄することを強要された
詐欺
他の相続人や第三者に騙されて相続放棄をした場合は、相続放棄を取り消せる可能性があります。
ただし、そもそも騙す行為が本当にあったことを証明できるのか、騙す行為が民法上の詐欺行為といえのかなど、取消しが認めらるためにはいくつかのハードルが存在します。
「”相続放棄をした方が良い”と嘘をつかれて騙されたから取り消せる」という簡単なものではないという点には注意が必要です。
強迫
他の相続人や第三者から強迫され、身の危険を感じ、本当は相続放棄をしたくなかったけれど言いなりになって相続放棄をしてしまったという場合には、相続放棄を取り消せる可能性があります。
ただし、詐欺の場合と同様に、そのような強迫行為が本当にあったことを証明できるのかや、強迫によって相続放棄をしたという因果関係を証明できるのかなど、取消しが認めらるためにはいくつかのハードルが存在することも理解しておきましょう。
(2)未成年者などの制限行為能力者が単独で相続放棄をした
制限行為能力者とは、自身で法的な手続きを進める能力が不十分であるため、契約や法律行為をするのに制限がある人のことをいいます。典型的なのは、未成年者です。
その他、認知症などで判断能力が乏しい成年被後見人、被保佐人、被補助人なども制限行為能力者に含まれます。
制限行為能力者が適切な手順を踏まず単独で行った相続放棄は、取り消すことができます。
このケースに該当しそうな方は、対象者がどのような「制限行為能力者」に該当し、本来どのようなプロセスで手続きを進めなければならなかったのかを確認しましょう。
制限行為能力者 | 同意や許可を得る対象 |
---|---|
未成年者 | 親権者もしくは未成年後見人の同意 |
成年被後見人 | 成年後見人 |
被保佐人 | 保佐人の同意 |
被補助人 | 同意行為目録の内容によっては、補助人の同意 |
(3)錯誤により相続放棄をした
意思決定をするための前提となる重要な事実を誤解したこと(錯誤)によって相続放棄をしてしまった場合も、相続放棄を取り消すことができます。
例えば、「故人には多額の借金があり、資産よりも負債の方が多い」と思って相続放棄をしたものの、実際にはそうではなく、真実を知っていれば相続放棄などしなかったというようなケースが想定されます。
ただし、一般論として、このような主張をして実際に相続放棄の取消しが認められる可能性は低いと考えられます。特に、財産調査を十分に行わなかったことが原因なのであれば、それは申述人の落ち度(重過失)であると判断される可能性が高いでしょう。
錯誤による取消しを主張するのであれば、そのような懸念点を潰せるような説得的な主張・立証をする必要があります。
(錯誤)
民法95条
第九十五条 意思表示は、次に掲げる錯誤に基づくものであって、その錯誤が法律行為の目的及び取引上の社会通念に照らして重要なものであるときは、取り消すことができる。
一 意思表示に対応する意思を欠く錯誤
二 表意者が法律行為の基礎とした事情についてのその認識が真実に反する錯誤
2 前項第二号の規定による意思表示の取消しは、その事情が法律行為の基礎とされていることが表示されていたときに限り、することができる。
3 錯誤が表意者の重大な過失によるものであった場合には、次に掲げる場合を除き、第一項の規定による意思表示の取消しをすることができない。
一 相手方が表意者に錯誤があることを知り、又は重大な過失によって知らなかったとき。二 相手方が表意者と同一の錯誤に陥っていたとき。
4 第一項の規定による意思表示の取消しは、善意でかつ過失がない第三者に対抗することができない。
※民法改正(2020年4月1日)より、錯誤は無効事由から取消事由に変更されています。
4. 相続放棄の取消しは簡単には認められない
相続放棄の取消しは、申述書等を提出すれば必ず認められるものではありません。家庭裁判所が取消しの原因となる事実について審査した上で、取り消すべきと判断した場合に限り取消しが認められます。
当然ながら、取消しの原因となる事実を裁判所に認めてもらうには、それを認めてもらうに足りる「証拠」が必要です。
つまり、制限行為能力(未成年者・後見・保佐・補助)や錯誤・詐欺・強迫などに関する証拠資料がある程度揃っていなければ、裁判所に取消しを認めてもらうことは困難であるといえます。
裁判所が一度正式に受理した手続きですから、それを取り消してもらうには、相当のハードルが存在します。単に、「相続放棄をしたものの、資産が多いことが発覚したので相続放棄を取り消したい」というような事例では取消しは認められない可能性が高いということを理解しておきましょう。
結論として、相続放棄の取消しは簡単に承認されるものではなく、成功させるには説得的な理由と十分な証拠が必要です。
論理的な主張・立証には専門的な知識や経験が必要となりますので、相続放棄を取り消したい方は、弁護士に相談・依頼されることをおすすめします。
5. 相続放棄を取り消す方法・手続きの流れ
では、相続放棄を取り消したい場合、どのような手続きが必要となるのでしょうか。
(1)相続放棄をした人が家庭裁判所に相続放棄取消申述書を提出する
相続放棄の取消しをしたい場合は、その旨を家庭裁判所に申述する必要があります(民法919条4項)。
具体的には、「相続放棄の取消申述書」や添付書類を、相続放棄の申述をした家庭裁判所に提出します。取消原因となる事実があったことを示す証拠がある場合には、その証拠も添付して提出します。
(2)相続放棄の取消しの期間期限に注意
相続放棄に期間制限があるのと同じように、相続放棄の取消しにも期間制限があります。
相続放棄の取消しができるのは、追認できる時から6ヶ月、または相続放棄の時から10年のいずれかが経過するまでです(民法919条3項)。
上記のどちらかの期間が経過してしまうと、相続放棄を取り消すことができる権利(取消権)が時効により消滅してしまいます。
その結果、相続放棄を取り消すことができなくなりますので注意してください。
6. 相続放棄が無効になるケース
ここまで、相続放棄の取下げ、撤回、取消しについて解説してきました。最後に、相続放棄の「無効」について説明します。
撤回や取消しと異なり、相続放棄がそもそも有効ではない、つまり無効と認められるケースも存在します。例えば、次のようなケースです。
(1)知らない間に無断で相続放棄されていた
相続放棄をする意思などなかったにもかかわらず、知らない間に無断で相続放棄をされてしまったようなケースです。
通常、相続放棄は、相続放棄をしたい相続人自身が家庭裁判所に申し立てをしますが、相続人が全く知らないうちに他者によって相続放棄が進められてしまうこともあり得ます。
このような不正行為によって受理された相続放棄は無効となります。他者が書類を偽造し、その書類に署名・押印したとなれば、相続放棄が無効となるだけでなく刑法上の犯罪も成立し得るでしょう。
なお、相続放棄が無効であることを確定させるには、相続放棄が有効であると主張する人との裁判(訴訟)が必要となります。
裁判(訴訟)の中で相続放棄の無効を争うには法律に関する知識や経験が必要です。専門知識のない方が自分で行うのは困難ですので、弁護士に相談するようにしてください。
(2)相続放棄後に故人の財産を使ってしまった
相続放棄の申述が無事に受理された後に、相続放棄をした人が、被相続人(亡くなられた方)の相続財産を「隠匿」したり、私(ひそか)に「消費」した場合には、相続放棄がなかったことになることがあります。
この場合、単純承認が成立し、通常通り相続することを認めたものとして扱われます(法定単純承認)。
「隠匿」(民法921条3号)とは、相続財産の全部または一部について、その所在を不明にする行為のことです。ここでいう所在の不明とは、被相続人の債権者にとっての不明であると考えられています。
例えば、相続放棄をした後に、被相続人が残した遺産の中から高級腕時計やブランド物のバッグなど、価値のあるものを譲り受けた場合は「隠匿」に該当します。
また、相続放棄をした後に、被相続人が残した現金や預貯金を私的に使ってしまった場合には、「私に消費」(民法921条3号)したといえます。
(法定単純承認)
民法921条
第九百二十一条 次に掲げる場合には、相続人は、単純承認をしたものとみなす。
一 (省略)
二 (省略)
三 相続人が、限定承認又は相続の放棄をした後であっても、相続財産の全部若しくは一部を隠匿し、私にこれを消費し、又は悪意でこれを相続財産の目録中に記載しなかったとき。ただし、その相続人が相続の放棄をしたことによって相続人となった者が相続の承認をした後は、この限りでない。
なお、「相続放棄を無効にしたいのであれば、わざと相続財産の隠匿や消費を行えば良いのでは?」と考える方もいるかもしれませんが、そのような意図を持った行為は後に効力が否定される可能性がありますのでやめましょう。
7. まとめ|相続放棄は一度きりのチャンス
相続放棄をすることは、本来故人から引き継ぐ不動産(土地・建物)・預貯金・借金等の負債など、すべての財産を一切受け取らない決断を意味します。
一度受理された相続放棄は撤回できません。また、取り消すのも簡単なことではありません。まだ相続放棄をしていない人は、「相続放棄は一度きりのチャンス」と考えて、慎重な判断をするよう心がけましょう。
すでに相続放棄をしたものの、相続放棄の効果を取り消したい場合には、民法に定められた取消事由に該当するのかや、そもそも無効であることを主張できないかを検討する必要があります。
そのような検討を適切に行うには、法律の専門家の力が不可欠といえるでしょう。どうしても相続放棄の効果を取り消したい場合には、弁護士に相談することをおすすめします。